返回列表 回复 发帖

回复 8楼 alwy 的帖子

343部队使用的是紫电改型海军战斗机2 h/ h. ~) c* P4 M% ?
1 G6 J9 }  R1 j
+ h: H& s1 Z: e( A+ s: u! z% [! F
. [8 Y- v" i" e4 |/ }7 ?2 D
过去,一直以为343航空队是精锐,从成立到战败,累计击落美机170余架,自身损失74名飞行员。
( X7 L8 a: v- Y( i& J7 B' B但实际上,343航空队实际是由一群新手和少数骨干的尖子飞行员所组成的,并不全都是有经验的飞行员。而且,对照日美双方的战果记录,发现343部队的成绩有很多的水分在里面。很可能自身的损失还要超过实际击落的美军飞机4 h: y& ^% m6 S6 r) @

. E# R5 W8 Y' j[ 本帖最后由 人猿 于 2008-10-20 21:10 编辑 ]

回复 15楼 oldcat 的帖子

战后,源田的回忆录里,对于“战斗机过时论”是以一种第三人称加以的记述,似乎和其毫无关系。0 f, I: h! w8 Y! B: ^
不过,在他竞选参议院的时候,旧海军内的一些关系者,对于当年源田鼓吹的“战斗机过时论”,造成自己从战斗机飞行员变为轰炸机飞行员一事耿耿于怀,公开表示不会为源田的当选摇旗呐喊。
- o  q+ C+ Y& ^3 E
7 G3 t5 x* ]" x2 ?此外,在给零式战斗机定型的时候,柴田对于源田过度强调单机格斗性能,从而放弃火力、防护的做法进行了激烈的抗争。在这一点上,在吉村昭所著的『零式戦闘機』中也有提及。
" o( G/ E9 R& @8 P& n( K! C) [; ~
2 q0 U: |: ]4 ~8 q( ~9 U[ 本帖最后由 人猿 于 2008-10-20 21:33 编辑 ]
海军“爆击”?% @/ X, u1 ~+ r4 I) x
海军什么时候重视过“爆击”?. B9 j# E( g0 l3 e$ J! ?
0 }! ]6 {2 E1 l6 v
帝国海军传统上重视的是“雷击”(攻击)- U8 @6 H+ [5 M  T( G
海军雷击机基本上是和驱逐机同时上舰的
7 l8 o, B- {5 u而且更新速度也和驱逐机的更新基本保持同步% N/ u& k, U# K
9 C/ L1 Y. ?; D$ @$ t
开战前的30年代里. f  p3 S' x4 m/ p9 ?8 f# d
海军战斗部队就增加了两个作战类型' C& `. ?5 P8 M9 x: d
俯冲轰炸机和长程岸攻- R  J/ a- u9 J3 k7 r
5 m9 w) T1 p) x4 f. K
海军什么时候偏重过无护航的编队轰炸?
. g( q) d; d" Z- t除了39年从武汉出发对重庆的轰炸由于战斗机航程不足无力护航以外$ x+ T! j9 R$ M& c6 U& ]- @
就是128事变面对毫无航空力量的十九路军的时候9 R' R( y" _8 J
派出的舰攻队都有护航
$ [# a: I4 @/ d& f' ^% J...............
! \* |2 G: r- S* o& l  ~# u
. G3 S5 W1 [- Z; T# B, i零式机定型关源田甚么事情?
) O) M$ ?2 b$ M0 |) o! c/ T, y: A* {零式机开发的时候源田不过是个少佐飞行队长3 i9 c5 }" M9 Q) i7 C5 G
然后调任作舰队航空参谋
. z) t# j/ b" n0 x) s; y9 I+ S# o7 \/ F7 y+ C
这些职位都和装备开发八竿子都打不到一起. }) ^: [) \, A2 O4 e% O+ O
你见过那一个国家正规的军品开发要向一个实战部队的“二把刀”负责的) @/ l/ z7 b: I  b, G

# m/ m8 I, g( R1 h: _另外多说点/ M' d1 E+ h: q' l; t

: g5 N( u! E( K& F零战是当时日本国军队当中单发战斗机当中火力最强的4 h; ]9 d6 _) [
42年在缅甸9 I. n; m$ [4 c2 \
陆军的一式战斗机不过在2支7.7毫米机枪# P, x$ s' J+ Y
而海军在一年之前就已经用上20毫米炮了8 d" k0 ?! ~9 M4 c( X7 R
+ s, \! C+ d4 Y7 [/ d4 f
说零战的结构脆弱?' O# g3 W8 ?0 W: C6 W
这恰恰是海军吸收了中国大陆上作战的经验教训: W1 b& Y& E, |7 g& z
不顾实际的片面要求远程飞行能力以便护航的结果

回复 18楼 oldcat 的帖子

这个主要是翻译的问题。我将日本海军的雷击机、俯冲轰炸机统统归为了轰炸机的范畴。更何况,日本海军的任何一款雷击机,都是炸弹和鱼雷可以互用的,称为轰炸机并不为过吧。4 ?1 R: N$ T6 r
至于无战斗机护航的陆攻远程轰炸,日本海军在中国又不是干过一、两次了。1937年8月15日,日本海军的96式陆攻20架从长崎的大村基地空袭了中国的首都南京,拉开了日本海军远程轰炸的序幕。开始的时候主要还是从九州基地飞来,对南京的空袭。后来,随着战争的推进,日本海军也参加了对重庆的野蛮空袭。九六式、一式陆攻轮登场,制造了一笔笔的血案。但同时,由于缺少战斗机的护航和日本飞机轻视防护,也造成了较大的损失!
4 ]+ t/ {+ x* w, B# w3 S, B8 j9 e& u* f1 a3 h: e& F
至于源田和柴田关于零式战斗机的定型之争,请参照 碇義朗所著『鷹が征く 大空の死闘 源田実VS柴田武雄』(光人社、2000年)一书。同时,吉村昭所著的『零式戦闘機』中,对于“現場の実技面と格闘戦を重視する源田と、今後の運用面や技術面を注視する柴田との口論が描かれている”。
# h. V1 g0 [" }6 P; g# n( l0 h. v3 A/ s2 i( c; d- w# p1 u
最后,说到零战的某些结构问题,在2005年8月13日日本NHK电视台播放的特别节目《零战的缺陷》中,引用了原三菱重工的主任设计师,参与过零战设计的曾根嘉年所遗留下来的大量珍贵资料,从而发现由于海军的干预以及过度的要求,从而造成了零战的强度和结构脆弱、不适于大量生产、缺少防弹功能等诸多缺陷。并且,这些缺陷是在海军内部负责航空兵的关系者(包括源田)的默许、无视、隐瞒下进行开发、生产的。而且,对于零战的改良,这些海军的关系者也没有同意!
回去先搞明白2 V, V8 T5 T. G+ W0 b/ C
陆攻和舰攻都干什么的再说吧; h, h: X  K( R- b/ S( r
( Z4 p4 L( f/ j' s
: \  z! u& j' k
" ?' o6 v. _7 n( D5 ^

- ]; d9 I6 R0 b! _5 G' S  i) P至于装备开发8 i& z. W& z+ U
建议您先去搞明白人家的体制
6 o& V& e6 o; J  x
2 D; S% {9 p9 Z  D- p看看一个作战参谋究竟能在哪里说上话
; Q9 X& p1 Y% x3 h" d* n
, K$ v- K2 O5 V8 S  ~6 ^另外请回去查查源田究竟什么时候在海军省任职
9 _' {- F  C0 K" s* G
3 a' o6 k, o: |, @% o
! T9 J' |2 k2 e* |
4 v, i' e9 R6 [( A  ^0 f最后
6 t6 r: h& q5 n8 E杜黑的“制空权”好好的再读几遍吧0 Z* s/ q! R& d2 V

# W, m8 y9 S. X+ Y[ 本帖最后由 oldcat 于 2008-10-21 00:46 编辑 ]
这个我大概看了一下,是有些问题啊,楼主不要觉得WIKI上的东西都对啊,这个要看还是要看原版书,首先零战放弃火力说是绝对不对的,至少在021时代没有放弃,零战的火力较前代九六战有质的提升,这个在当时世界范围内也不能算弱,无论如何谈不上放弃,不错,近年来确实有些中文资料对零的火力大加贬低,认为77机枪火力不足,而20炮配弹又太少,这种纯属马后炮观点,不足采信.至于防护,这个也和日本的发动机技术落后有关,940马力的发动机,如果按照美国人的观点加装防护的话,零战的速度肯定上不了500,航程也要大打折扣,这样的战斗机开发出来又能有什么意义,解决不了任何实际问题,第二,日本海军确实没有重视啥无护航爆击,在中国大陆的几次爆击行动确实和战斗机航程有关系,96陆攻的航程确实在当时属于超长型,找不到与之搭配的战斗机,021是40年12月才制式采用的,你举的案例都是此前的,仗该怎么打和兵器装备是有直接关系的,尤其是海空战这种需要依靠高技术装备的战争,更是如此.最后说说源田对零战开发的意见,可能其作为飞行员,确实在使用中给设计者反馈了一些使用经验,但无论如何也谈不上重大影响.* B' J7 @# H2 v0 ^! K4 Q

/ E, z% R2 I" ]9 q6 v. s- Q! g! a[ 本帖最后由 hyyy 于 2008-10-21 08:42 编辑 ]
全機今ヨリ発進、敵空母ヲ撃滅セントス!!!

回复 21楼 hyyy 的帖子

这个我来解释一下,我并没有说这篇文章里记述的内容都是正确无误的。我编辑此文的意思是想说,源田实这个人在日本其实也是一个比较有争议的人物,对他有这样那样的非议。) k2 {4 D6 a/ N/ m( B6 f
文中,比较有争议的地方就是零式战斗机的所谓定型问题以及“战斗机过时论”时期源田的影响了。那么,我们可以就此验证一下!+ L& W9 H" C  d2 Y! s: y
    关于“日本海军战斗机无用论”中源田的表现,请参看柳田邦男所著《零式战斗机》文艺春秋出版1980版129页的记述:
6 Z* Z  w( K1 A6 I, A' e8 U4 U- y『戦闘機無用論を最初にいい出したのは、ほかならぬ戦闘機乗りのパイロットたち、それも横須賀航空隊の源田実大尉らの錚々たる連中だった。
- K% E! S( O- D) o$ ?" |, i# M無用論の論拠となったのは、大型機のめざましい性能向上だった。つまり、爆撃機・攻撃機の開発が世界的に進んだ結果、爆撃機・攻撃機と戦闘機との性能の差が、速力の点でも、機銃の点でも、あまり変らなくなり、戦闘機の威力が、相対的に低下してしまったのだった。
& [5 i$ z8 s: ]6 j: V! Zだから、「もはや戦闘機による制空権の獲得という考えは信頼できない。雷撃・爆撃の攻撃力を強くしたほうがよい」というのが、戦闘機無用論の主張だった。
' u  ]1 a7 n9 j$ {2 D: Hこれに対し、軍令部や航空本部も、一時期同意して、戦闘機のパイロットの養成を削減したほどだった。
% h( _( i4 G# Qこのような戦闘機無用論は、昭和十二年に九六式艦戦が出現するまで続いたが、その根底にあった問題点は、当時の戦闘機の性能が、いっこうに向上する気配を見せていなかったという一点にあった。したがって、戦闘機無用論に対しては、航空隊の中にも、航空本部の中にも、強い反対論があった。. y+ i2 ?+ B9 n+ M9 V: R
「現用機の性能からだけ、戦闘機の無用を論じるのは、間違っている。速力や機銃の威力は、単座式のほうが優れているのは明らかであり、もし現用の戦闘機の性能が不満足なものであるなら、性能向上に努めるべきである」
* n) X+ p/ V/ {* X$ ?というのが、反対論の趣旨であった。』
0 B& d' V; o6 j# x. x
( p5 a1 q9 |% Z$ K5 b6 f    可见,当时身为横须贺航空队大尉的源田是“战斗机过时论”的积极倡导者,在这些基层倡导者的建议下,军令部、航空本部也受其影响,将战斗机驾驶员的培养进行了大幅度的削减。这种意见的争论一直持续到1937年九六式舰载战斗机问世以后才渐渐销声匿迹。4 Z. i5 b3 [" c1 p6 m/ M
    综上所述,源田在30年代曾经为“战斗机过时论”摇旗呐喊恐怕不是捕风捉影的信口开河. b6 R9 @# s. }* S% x$ i- J; X" g
. ]& @# a# z& l2 p( M: n4 L
[ 本帖最后由 人猿 于 2008-10-21 11:01 编辑 ]

《零式舰上战斗机物语》中的柴田、源田之争(证据)

『さて零戦の原型である十二試単戦の設計に入ったメンバーでしたが、海軍の要求が陸上の五種競技の選手に総合はもとより各競技に世界新記録を求めるようなとんでもないものだったのです。
. X* \* n& G$ `& a# ^速度、格闘性能、航続性能、武装などいずれもが相反する性能を一つに纏め上げる作業が続きます。それに追い打ちを掛けるように海軍の考えるところが二分します。有名な源田、柴田論争で格闘戦至上主義の源田論と速度、航続の柴田論に二分され、現場パイロットの間では源田論が優勢を占めます。  W; v" f4 T. d6 T2 @5 [
この辺りメッサーシュミットの速度、上昇力に割り切った考え方とはまったく対照的です。結局結論の出ないまま十二試艦戦の試作は進みます。4 s1 C4 G, W6 P* s; G: J* m1 R$ `& g
海軍は源田論を基にした格闘戦闘機を要求しますが、再計算をした堀越技師はこれを説得、十二試艦戦の試作を続行したのです。さて、先の世界新記録保持の五種競技者の件を堀越技師はどう乗り切ったかですが、兎に角徹底した重量軽減と後に剛性低下方式と呼ばれる撓みを活かした新方式(戦後に堀越氏はこの論文で博士号を受けています)の操縦系統で速度と空戦性能の両立を図り見事に成功したのです。』6 G$ M+ J9 O+ r1 F) k
http://www.hasegawa-model.co.jp/KIKAKU/zeek/zero1.html
/ o6 E+ C) I7 Y# M6 W( ~( J" j2 p' k" Y1 {: V/ d3 ~& d
此外,还有
, x- R9 G8 e# E3 Q『1938年1月、軍民合同の研究会にて海軍側から先の要求を満足させる事を求められたが、その際に中島飛行機は実現不可として試作を辞退し三菱のみの制作となった。; _0 _6 C# v& S: P2 a8 v" [
    新戦闘機のエンジンには軽量・小型で出力が875馬力ある三菱『瑞星エンジン(三菱のエンジンは星関係の言葉が命名される)』が装備される事に決まった。
" x& y  y4 i: |# U* T超々ジュラルミンが材質に使用され、突出風防を使用する事により視界を良好にする等の工夫がされた。
8 S. N- }7 R6 ]8 {4 e' {% A7 ` 新戦闘機について度々議論が行われたが、源田実少佐(後の南雲機動部隊航空参謀)と柴田武雄少佐(当時、空技廠実験部所属)の間で格闘戦重視した軽戦(源田)か操縦員の技量でもどうにもならない速度(+航続力)を重視の重戦(柴田)かで争われたり、現場から20mm機銃不要論及び長大な航続力は不要との論が出たりしたが、結局三菱が格闘戦重視・航続力大の案を海軍に提出し、その案が採択された。』9 F+ s' z+ s% l
http://goinkyox.com/Gunji/Warplane/TypeZero.htm/ O1 m/ j: C' z3 A; }, P
0 b) ]# P2 F! n! n5 t
还要在说明下去么?!
+ E. k9 a1 v5 Z! E% \. n0 _0 ]  ]
  {- g; Q% P+ f0 Y, `[ 本帖最后由 人猿 于 2008-10-21 10:59 编辑 ]
比较有争议的关于零式战斗机定型的问题,并没有指明是11型、21型吧(参看源田个人的经历,这种可能性也很小),那么是不是32型、22型或是52型呢。
! k9 Q& X/ b2 B; Y3 F. p并没有指明,这种游戏还是不要玩的好,是态度问题啊,对于容易出问题的地方就该说清楚,如果说不清楚,可以加上我认为,或者请大家鉴别之类的语句,而不是故意模糊起来,以便事后辨解,没意思,难道面子真就那么重要么.
全機今ヨリ発進、敵空母ヲ撃滅セントス!!!
这个问题,我既然能发现,就证明你的这点手段并不高明,至少让我觉得不高明,而且容易给新来的会员造成误解,原来日本人也是这么说的云云,另外不要回避问题,96陆攻的爆击问题你还没解释清楚,至于源田对战斗机开发的影响,我保留意见
全機今ヨリ発進、敵空母ヲ撃滅セントス!!!

回复 25楼 hyyy 的帖子

证据都上去了,可以自己看。7 P# A! X6 k) g
如果这些都说服不了的话,那我无语。

再看看战斗机无用论的具体经过

看看吧,当初提倡战斗机无用论的这条线是山本-大西-源田:; L) z1 {/ E+ q2 U8 X2 Y  C
『海軍戦闘機を語る上で切っても切り離せないものが「戦闘機無用論」である。そして
7 G; n: G5 l, s, \それを主唱したのが当時航空本部長でワシントン及びロンドンの軍縮条約による艦艇
/ x1 ?9 x0 n+ o# kの数の劣勢を飛行機(攻撃機)で補おうとした山本五十六中将と航空本部教育部長の6 A+ n, i& t3 @3 w1 g' K. A( G
大西滝治郎大佐の後盾のあった戦闘機搭乗員出身の源田実少佐だったのである(いわ
* E7 n7 I9 D7 r9 Iゆる山本-大西-源田ラインである)。大西滝治郎大佐は戦艦無用論(航空主兵主義た& k( A: u/ q, b2 p% e
だし戦闘機でなく攻撃機偏重主義)を主唱している。さらに戦闘機無用論と密接な関
6 G8 |/ K) ?4 u係のある援護戦闘機無用論者でもあった。』
9 X- p  l2 _' a, v6 d5 vhttp://www.warbirds.jp/kakuki/kakjitu/senpu_rm.htm

96式陆攻与战斗机过时论

『1935年日本海軍は九六式陸上攻撃機を世に送り出した。(最高速度373キロ)
  b7 o, d. D; A; b6 y* v双発、全金属製、引き込み脚、単葉の革新的爆撃機(防御力は犠牲)であった。
% f1 P! n1 V4 V' F" O6 X6 tその当時の海軍戦闘機は未だ複葉機しかなく、その九五式戦闘機の最大速度は352キロ。9 K! s/ O$ h' U. U+ B
大西大佐はワシントン軍縮条約で対米比率6割に制限された主力艦の不足を補完するために
) F0 @+ l4 `) X! t海軍爆撃機、攻撃機の拡充のために、戦闘機パイロットの養成を縮小しその分攻撃機の搭乗員に
* s: g2 B: H7 O( q6 u# C廻したいと考えていた。8 o* W- G' Z8 z5 u* g. n" L4 ?
おりよく海軍部内で九六式攻撃機に九五式戦闘機が追いつけないという問題提議が起こった。
5 N- b$ a9 f1 i1 p! nそこから「戦闘機無用論」が広がっていく。
9 I  U% T( I- ^3 W(中略), t$ N3 Q$ j( f
実際に運用された「戦闘機無用論」(実際は戦闘機隊約3分の一削減)だが, \7 q! Z; P, F. n/ u
日中戦争(シナ事変)が始まり「戦闘機無用論」の張本人であった大西が慌てふためく。
) H) W. c, P. K# l1 w  z* U( D1 ?馬鹿にしていた中国空軍の劣速の複葉戦闘機に最新の96式攻撃機がバタバタと墜されたのである。
/ d! Z! v' Y7 Y' T0 e' P, @延べ100機以上の九六式陸上攻撃機が墜され戦死した攻撃機の搭乗員は600名を数えた。- A0 E4 S, J! p9 m9 h1 N
ここで「朝礼暮改」であるが護衛用の戦闘機隊の増強が急務となった。
- S: Q; K" A: o
1936年新しい戦闘機九六式艦上戦闘機(最大速度451キロ)も登場し爆撃機や輸送機に
8 [0 B, _3 O3 K5 L. v  m廻されていた元戦闘機パイロットも戦闘機隊に呼び戻された。』
/ J- C  Z- N5 H0 I3 V" J6 f5 Hhttp://blogs.yahoo.co.jp/naomoe3/40586016.html
" p9 z# G6 A8 }; w0 i9 G6 a0 H0 T. W4 ~( H, ]) h( p+ Z
再看看渊田美津雄的回忆录,《真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝》
4 C( ^) l+ |$ z6 o0 c$ U0 @  d6 d, j4 Z$ b9 v' j
『源田サーカスと異名を取り有名な戦闘機乗りパイロットが戦闘機無用論を唱えたことに違和感を感じる人も多いかもしれないが、それが事実である。96式陸攻のカタログ性能の素晴らしさに驚き、これでは戦闘機はいらないと主張したのである。ところが渡洋爆撃で被害が増えると戦闘機無用論は消滅し、戦闘機を要望する声が大きくなった。爆撃機搭乗員の戦闘機無用論に源田氏が荷担したのである。そして零戦開発では、柴田氏の速力火力論にたいして、源田氏は旋回格闘戦性能を要求した。それを堀越氏が上手く纏めたのが零戦であった。そして最後に松山に紫電改を集めた政治力と戦術センスの無さを露呈した。』
! B- }1 C+ G5 U# C: @& e7 `; qhttp://blogs.yahoo.co.jp/hiromichit1013/54563706.html& P/ e* G. y6 D7 i6 R. |  O
. v" P6 n5 D: m" K
[ 本帖最后由 人猿 于 2008-10-21 11:26 编辑 ]
原帖由 人猿 于 2008-10-21 10:47 发表
& m1 T8 j5 d! M% F+ ]$ P$ D; _这个我来解释一下,我并没有说这篇文章里记述的内容都是正确无误的。我编辑此文的意思是想说,源田实这个人在日本其实也是一个比较有争议的人物,对他有这样那样的非议。% ~9 C% B; s; o
文中,比较有争议的地方就是零式战斗机的所 ...
! |4 \3 l; _+ b# w+ X5 x  i
5 U* T  Z/ K9 Z% x5 @  u( T源田任横镇飞行队长官的时候可都已经是38年的事情了
6 d7 a/ s; O2 c/ ~- k  X在此之前是海大的学生* G% [3 y) h7 t2 M% p5 v
再往前是28年的飞行生, x' m; m4 W: k. S9 N

$ l: L) c) o. c  D- J1 Y0 d日本海军缩减员额是什么时候?( O# n8 E3 b& w+ \
整个30年代前期是什么时候?
7 M0 s* o0 ~* k. F! D
4 _+ f+ O( j# t+ h8 A: Q
" J) Y9 i( k0 |+ o6 Y! A& x军缩时期3 M' p  c+ P5 H) Z
军缩时期到那一年结束?# h) m3 L/ Z+ B% v3 l9 o

/ J* H0 f$ N* o; Q7 K5 z- U+ m部队编制都减了难道预备人员不减?
! j7 ]- i6 f7 U1 t4 @) Q6 t你准备从哪里腾出来职位安置那些新人?
原帖由 人猿 于 2008-10-21 10:53 发表
3 T- Z( _* q5 A9 [. x# M『さて零戦の原型である十二試単戦の設計に入ったメンバーでしたが、海軍の要求が陸上の五種競技の選手に総合はもとより各競技に世界新記録を求めるようなとんでもないものだったのです。
& S4 l' ^/ I; Q/ r速度、格闘性能、航続性能 ...
" \! p+ J3 T2 E9 ^* u2 t% e

' t" Y: L$ t% z  q' O您可以自己看海军队十二式舰战的开发要求: P. ]: t1 C5 |
然后再对比一下验收标准6 C3 Z* Z3 Y. e$ f$ |
  F& B, [. Y- F/ l1 N& ~* a
看看零战的最终规格是在38年之前就提出来的呢5 m; i9 r& C8 H# h+ E$ O1 `- G
还是39、40年才争论通过的
返回列表